ときわ台天祖神社(常盤台天祖神社)

2016年9月20日


御祭神:天照大御神
配祀神:豊受姫命・大山咋命
社格:旧村社
所在地:東京都板橋区南常盤台2-4-3
最寄駅:東武鉄道東上線 ときわ台駅
URL:http://www.tokiwadai-tenso.or.jp/
御由緒:当社の創建は不詳だが、近隣で古墳時代初頭の住居跡(向屋敷遺跡)が発見されており、社地は古くから禁足地や祭祀地とされていた可能性がある。
また鎌倉時代中期・御深草天皇の頃に、上板橋村字原に天照大御神の御姿が現われたという「影向跡(ようごうあと)」に「伊勢社」を勧請したとの伝承が存在する。
神社側ではこの伝承が創建に深い関係がある可能性を指摘し、当地一帯が豊島氏による開拓が進められ、鎌倉から室町時代にかけ集落が形成される過程で、神社としての体裁が整えられたと推測している。
江戸時代には神明社、神明宮などと称され、旧上板橋村の鎮守であった。
1797(寛政9)年、文人・狂歌師で幕府御家人でもあった大田南畝(蜀山人)は、その著書「異本武江披砂」内で当社の様子をつづっている。
それによると「上板橋の石橋を越へ右へ曲り坂を上りゆく、岐路多くして判りがたし、左の方に一丁あまり松杉のたてたる所あり、この林を目当に行けば神明宮あり、長命寺の持なり、古老松杉枝を交えて大なる柊もあり、宮居のさまも藁葺きて、黒木の鳥居も神さびたり」などと記されている。
1872(明治5)年、村社に列せられ天祖神社と改称した。
1945(昭和20)年6月10日の空襲では神楽殿が半壊し社殿も被災したが、1953(昭和28)年に神楽殿を再建、1970(昭和45)年には社殿の改修が行われた。
なお当社では毎年12月2日に熊手市も開かれる。

東武東上線・ときわ台駅南口を右手に出てすぐの角を左折。
50m弱進むと社頭にいたる。
これを通り過ぎてさらに50mほど先には南参道もある。
1935(昭和10)年に開設された駅は当初、境内に茂っていた老松や杉の社叢「常磐の杜」と、武蔵野台地の名を合わせ「武蔵常盤駅」と命名された。(※1951(昭和26)年に現在の「ときわ台駅」に改称。)
そして翌1936(昭和11)年から駅北口側の土地一帯を保有していた東武鉄道が住宅の分譲を開始したのが地名「常盤台」のはじまりである。
「常盤」については当社の祝詞の一節からとする説もあるが、いずれにせよ当社に由来するのは間違いない。
社頭は現在より石神井川寄りで約300m近くの参道があったが、戦後被災した神社復興のため境内地約1,700坪を宅地として開放している。
これによって駅南口が開設された。

表参道に坐る弘化3年造の狛犬。台座には円形の傷がある。
6月10日の板橋空襲で投下された爆弾の破片によるもので、戦争の痕跡を今に伝える希少な存在だ。


南参道には1998(平成10)年奉納の狛犬。最近のものにしては珍しく護国・招魂社系だ。
その裏手には先代とみられる狛犬も。


参道をさらに奥に進むと手水舎、社殿に連結された神楽殿、そして右手奥には立派な参集殿も。
参集殿は祖霊社を兼ねているようだが、外部に拝所は設けられていない模様。
社殿は豊かな緑に囲まれ、幣殿・本殿の姿を拝観するのは難しい。



境内末社は7社。全て表参道右手に鎮座している。
参道入口側から稲荷神社(宇迦之御魂命)・北野神社(菅原道真公)・日枝神社(大山咋命)・月読神社(月読命)・伊勢神社(大日孁貴命)。
日枝神社は江戸時代には権現社と称され、上板橋村向屋敷(現・常盤台1-19付近)に鎮座していた。
1614(慶長19)年、当地で徳川家康が遊猟した記念に、里人が浄財を出しあい創建したと伝えられている。
手水舎そばには水神社。
由緒書きには「御井戸」と記されており、どうやら井戸跡を祀っているようだ。

榛名神社(斎皇産霊神(イワイムスビノカミ・埴山比売神)は参集殿脇に。
上板橋村では旱魃になると群馬県・榛名神社で御神水を受け村内に配り、その出立時や帰村時に必ずこの社に詣でたという。

轡神社からほど近い板橋区弥生町12-10には境外末社の豊敬稲荷神社(ホウケイイナリジンジャが鎮座している。
祭神は宇迦魂大神・猿田彦神・大宮賣神。
創建は不詳だが、江戸末期から明治初期頃に祀られたとみられる。
一時期衰退し民家の片隅に遷されていたが、福本芳太郎氏が私財を投じ現在地に遷座再建した。


ときわ台天祖神社 御朱印。初穂料300円。
境内南参道にある授与所にて受けられる。
正式な社号は「天祖神社」。
便宜上地名や駅名の「常盤台」あるいは「ときわ台」を冠して呼称される。
ちなみに申し出れば、兼務社である上板橋御嶽神社(桜川御嶽神社)の御朱印も拝受可能。