薭田神社(稗田神社)

2014年6月11日

概要

飛鳥時代の和銅2年創建とされ日本三代実録にもその名がみられる古社。
延喜式内小社「薭田神社」の論社。
蒲田八幡神社で御朱印が受けられる。

御祭神 譽田別命・天照大神・武内宿禰命・荒木田襲津彦命・春日大神
社格 延喜式内小社(論社)・旧郷社
鎮座地 東京都大田区蒲田3-2-10
最寄駅 京浜急行電鉄本線・空港線 京急蒲田駅
JR京浜東北線 蒲田駅
東急電鉄池上線・多摩川線 蒲田駅
URL http://hieda.kamatahachiman.org/index1.html

御由緒

社伝によれば、709(和銅2)年、高僧・行基が天照大神・八幡・春日の御神体を製作し奉斎したという。
その後の1282(弘安5)年、日蓮宗の宗祖・日蓮聖人が村民の要請を受け三神像を開眼したとされる。
この三柱の神像が祀られてきたのは事実だが、社伝自体は創作と推測されている。
当地は、垂仁天皇の御代に集落ができるとともに霊地・斎場とされ、既に神社としての基礎が成立していたとみられる。
薭田神社と見られる神社が史実に登場するのは、平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」である。
「貞観六年八月十四日戊辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」とあり、これが当社とみられる。
この後、延喜式神名帳において武蔵国荏原郡並小二座のうち一社が薭田神社であると記載されている。
(※もう一社は磐井神社。)
しかし、この「薭田」は実は誤写もしくは当て字であり、前述の日本三代実録や、この頃既に地名の蒲田が成立していたことを示す史料等から「蒲田神社」が正しい社号だったというのが各研究での通説である。
延喜式神名帳に記された荏原郡薭田神社については、その所在が不明確となっており、後に別当であった榮林寺の僧が当地の歴史等から推測し当社を薭田神社として神祇管領に申請、受理され社号が成立したという。
なお、延喜式内薭田神社については、大田区東六郷の六郷神社・久が原の久が原東部八幡神社・南久が原の鵜ノ木八幡神社・港区三田の御田八幡神社が論社となっている。
1872(明治5)年10月郷社に定められ、現在は蒲田八幡神社の兼務社となっている。

境内紹介


本務社・蒲田八幡の裏門から150m弱北に「柳橋」という呑川に架かる小さな橋があるが、これを渡ってそのまま300mほど行くと当社の玉垣が見えてくる。
JR・東急からは多摩堤通りを東に向かい、あやめ橋交差点を過ぎた次の信号で左折する。
明神型の石鳥居は大田区指定文化財。
1800(寛政12)年、北蒲田村の氏子によって奉納された。


参道には山野神社と天祖神社の合祀碑、昭和34年造の狛犬像が続く。

1945(昭和20)年4月15日の空襲で社殿その他を焼失し、仮殿にて復興した。
その後1954(昭和29)年に旧社殿が再建され、さらに2000(平成12)年に造替されたのが現社殿である。

境内社


境内社は三社。
いずれも拝殿向かって右手の一角に祀られている。
薬祖神社(少彦名命)は当社の本宮・地主神であるという。

稲荷神社(宇迦御魂命)。

三十番神社は30日間交替で国家や国民などを守護するとされた三十柱の神を祀る。
三十番神には吉田神道が選定したものなど各種ある。
蒲田は日蓮宗の信仰が根強い地域ゆえ、祀られているのは日蓮宗・法華神道の系統であろう。

御朱印

薭田神社の御朱印。
初穂料300円。
本務社・蒲田八幡神社の社務所にてお願いできる。
菖蒲の印判が捺されるのは、1902(明治35)年に現・蒲田小学校付近に開園し人気を博した蒲田菖蒲園に由来しているのだろう。

以前の御朱印

薭田神社の地図