寄木神社
御祭神:日本武尊・弟橘姫
社格:旧村社・荏原神社境外末社
URL:http://www.sinakan.jp/entry.html?id=34906
※しながわ観光協会による紹介ページ
所在地:東京都品川区東品川1-35-8
最寄駅:京浜急行電鉄本線 新馬場駅
御由緒:「品川区の文化財」による寄木神社の由緒
社伝によれば、日本武尊が御東征の折、相模国から走水の海(浦賀水道)を渡ろうとした際に、海神により嵐が起こされ船は沈没寸前となった。
弟橘姫は海神の怒りを鎮めるべく、その身を犠牲にして入水したことにより、日本武尊は難を逃れた。
船が嵐に見舞われ破損した際の木片が品川浦に漂着し、これを漁民らが納めて祀ったのが創祀とされる。
弟橘姫の御衣が流れ着いたという別説もあり、いずれにせよ弟橘姫を慰め祀ることで海上安全を祈願する意図があったと推測できる。
また、源義家は奥州征伐時に当地に立ち寄り、漁民から寄木明神の由来を聞いた義家は奉幣し、戦勝祈願したという。
義家は奥州平定後の帰路においても再び参詣して兜を奉納したことから、以後当地は兜島と称された。
当初の鎮座地は漁民の集落があった南宿三町目(現・南品川三丁目付近)で、与惣兵衛(または興兵衛)という人物の居地に祀られていた。
この後、同人が旧社地から現在地へ移転する際に併せて遷された。
「新編武蔵風土記稿」によれば、江戸時代には南品川貴布彌社(現・荏原神社)により管理されていた。
目黒川の左岸を辿って行くと洲崎橋という橋が河口近くにある。
この橋につながる細い路地を入っていくと左側(西側に)当社の入口がある。
社号標はなく鳥居も路面していないが「しながわ百景」の小さな案内板があるので、これを目印にするとよいだろう。
小社ながら境内には三対の狛犬が。
青銅製のものは1988(昭和63)年、拝殿前の尾流れ型は1913(大正2)年、そして尾流れ型のそばに特徴的なモチーフの小さな狛犬。
これが「かっぱ狛犬」。1828(文政11)年造で、阿形吽形共に頭頂部にくぼみが造られている。
このくぼみにロウソクを立て灯台代わりにしたという説がもっぱらだが、いくら人工的な明かりの少ない時代とはいえ、大きさから考えて無理があるように思う。
おそらくは祭祀等、別の目的があったのだろう。
拝殿上部の彫刻の造形は非常に緻密で必見である。
また賽銭箱には見たことのない神紋。菊花の中央に裏橘であろうか?
大谷石による石蔵型の本殿も大変珍しい。
境内社は二社が鎮座する。境内北側の隅に稲荷社。
参道左手に亀の甲社。東京神社名鑑によれば、明治時代の末、品川浦に大きな海亀が迷い込み、漁師達がこれを捕えて、村民に披露したという。
しかし、この亀は独り鎖を首に巻き付けて死亡したため、この亀の霊を末社として祀ったのが由緒である。
寄木神社 御朱印。初穂料300円。荏原神社にて授与していただける。
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