筑波山神社
男体山御本殿
筑波山は双耳峰(二つの頂がある山)で、男体山(標高871m)と女体山(標高877m)それぞれの山頂に本殿が祀られている。
登拝するにはいくつかのルートが設定されているが、男体山へは御幸ヶ原コースが一般的に選択される。
このほか、本社拝殿西側の宮脇駅から運行されるケーブルカーを利用する手段もある。
御幸ケ原コースは上り90~120分程度と表記する情報が多いが、登山経験が少ない筆者でも、数度の休憩を含め70分で男体山本殿に至っている。
筑波男大神(伊弉諾尊)が祀られる男体山御本殿。
延喜式内名神大社であり、現社殿は1955(昭和30)年に造営された。
御幸ケ原
御幸ケ原は男体女体両山頂間を結ぶ鞍部のこと。
常に二神が御幸(往来)するとされ、このように呼称される。
御幸ケ原のルート上にはセキレイ石、ガマ石というふたつの奇岩がある。
セキレイ石は、この岩にセキレイが留まり、伊弉諾尊と伊弉冊尊に男女の道を教えたとされている。
日本書紀に、伊弉諾尊と伊弉冊尊が交合の方法を知らず、そこに現れたセキレイの頭と尻を振る姿から学んだという一節があるが、伝承はこれを指しているのであろう。
ガマ石は元来「雄龍石」といい、傍らには「雌龍石」もあり、その尾は霞ヶ浦に達すると伝えられている。
香具師・永井兵助がこの石の前で「ガマの油売り口上」を考案したとされ、「ガマ石」の名はこれに由来する。
女体山御本殿
筑波女大神(伊弉冊尊)が祀られる女体山御本殿。
延喜式内名神大社であり、現社殿は1979(昭和54)年に造営された。
摂末社・奇岩怪石
女体山側の白雲橋コースには四座の摂社が鎮座し、多くの奇岩や怪石などがある。
白雲橋コースを下山する流れで順に紹介する。
大仏岩は高さ15mの巨岩で、見上げた姿が大仏のように見えるということから名付けられた。
摂社・安座常神社(素盞鳴尊)と御神体・屏風岩。
屏風岩はその名の通り、屏風のように見えることから。
北斗岩は、ここで弘法大師が妙見菩薩を見た、あるいは北斗星の様に決して動かない意とも伝えられる。
岩の傍らに摂社・小原木神社(月読尊)が鎮座している。
裏面大黒は大きな袋を背負った大黒天の姿に例えられた岩。
その至近には摂社・渡神社(蛭子命)が祀られている。
蛭子命は伊弉諾尊と伊弉冊尊の間に最初に生まれた御子。
港を出る船と入る船がすれ違う様子にみえる出船入船。
古来より「熊野の鳥居石」といわれ、船玉神が祀られている。
国割石は、往古諸神が集い、この石の上に線を引いて、各々が行くべき地方を割り振ったといわれる。
二つに割れた巨岩が、陰陽寄り添うような姿の陰陽石。
大小の岩が形成するトンネル状の母の胎内くぐりは、筑波山禅定の行場のひとつ。
行を重ねこの岩を抜けることにより、母から生まれた際の穢れなき姿に立ち返ることができるのだという。
大人一人が腰を折ってようやく潜れる狭さで、本来は上から下へ抜ける。
子宝・安産の信仰対象でもある。
天津神の世界「高天原」の名がある大岩上に、摂社・稲村神社(天照大御神)が鎮座する。
筑波男大神と筑波女大神が降臨した場所との伝説も。
弁慶七戻りは、その景観から人気の撮影スポットにもなっている。
元来は「石門」と呼ばれ、聖界である高天原と俗世を分ける門とされる。
七戻りの由来は、豪傑といわれた弁慶でさえ、岩が崩落してくることを恐れ七度も後ずさりした伝承から。
ここに棲む白蛇の姿を見ると財を成すといわれる白蛇弁天。
ここから白雲橋コース入口の間は比較的緩やかな山道となっている。
御朱印
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筑波山神社男体山および女体山御本殿の御朱印。
初穂料各300円。
拝殿の授与所もしくは両山頂本殿そばの授与所で受けられる。
ただし山頂本殿の授与所は閉所されている場合がある。
拝殿授与所で受ける場合、登拝していないと「登拝」印は捺されない。
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2017(平成29)年8月3日は語呂合わせで「筑波山の日(2983)」。
これを記念し11日(祝日・山の日)までの期間を「筑波山week」として様々な催しが行われた。
筑波山weekに合わせ、摂社四社の御朱印が限定授与された。
摂社各社に登拝し、用意されている印判を捺すか、持ち帰ったタグを提出するのが授与の条件。
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