大島稲荷神社

概要

江戸時代の慶安2年創建とされ、合祀した愛宕神社とともに大島村の鎮守だった。
松尾芭蕉や小林一茶と深い縁があり、句碑などにその面影を残している。

御祭神 宇賀之御魂神・太郎稲荷大神・迦具土之命
社格 旧村社
鎮座地 東京都江東区大島5-39-26
最寄駅 都営地下鉄新宿線 大島駅
URL http://www.c2-factory.com/ojimainari/

御由緒

創建は江戸時代の1649(慶安2)年とされる。
南葛飾郡大島村は江戸湾や小名木川に近く、津波や洪水などの水害と、それに伴う悪疫の流行に悩まされた。
このため村人が相謀り、山城国・伏見稲荷大社の御分霊を奉遷し、当地の産土神として現在地に祀った。
明治維新後旧別当の愛宕山勝智院(現・千葉県佐倉市上座776-6)と分離し、1873(明治6)年7月より猿江神社が兼務していた。
1909(明治42)年8月より佐竹清太郎氏が社掌になり、以降佐竹家が奉仕している。
1897(明治30)年6月に旧浅草光月町入谷田圃鎮座の太郎稲荷社(旧柳川藩立花家下屋敷邸内社)、1944(昭和19)年6月に隣地の無格社愛宕神社を合祀した。
※太郎稲荷神社は台東区入谷2-19-2に現存し、亀戸天祖神社境内にも分社がある。
1945(昭和20)年1月村社に昇格したが、同年3月10日の東京大空襲によって社殿や大神輿などを焼失する。
戦後は1946(昭和21)年に仮社殿にて復興したものの、社地の一部が環状四号線道路用地となったため本格的再建は遅れた。
1967(昭和42)年になって現社殿と社務所を造営した。
1999(平成11)年には、氏子崇敬者の支援によって念願の大神輿が再建、2010(平成22)年には中神輿も新造されている。

境内紹介



最寄りは新宿線大島駅。
アクセスは同駅A5出口を出て左、大島六丁目交差点を横断せずに左折し、丸八通りを南に向かえば良い。
丸八橋北詰まで来ると橋上の道と側道に分かれるので、側道へ進むと200mほどで当社にいたる。
表参道は小名木川に面した南側で、西側にも参道が設けられている。
境内に入ると左手に「女木塚句碑」と俳聖・松尾芭蕉の石像がある。
「女木塚句碑」は芭蕉が当地で詠んだ「秋に添て行はや末ハ小松川」という句を刻んでいる。
其日庵社中によって江戸時代中期以降に建立されたとみられ、江東区有形文化財(歴史資料)に指定されている。


手水舎付近には三猿像や出世開運牛像のほか、狛犬などの石造物がみられる。
狛犬の造立年代は不明だが、風化が著しい。

旧別当・勝智院、愛宕社、そして当社には芭蕉翁だけではなく小林一茶も深い関わりがあったという。
現在は勝智院も移転し、周囲を幹線道路や高層マンションなどに囲まれながらも、限られた神域に豊かな社叢を保持している。
古い写真ではこの樹木や植栽は全く存在しておらず、昭和後期から育成されたようだ。

境内社



境内社は一社、表参道入口近くに1988(昭和63)年創建の佐竹神社が祀られている。
神紋は梅鉢紋で、御神徳は「神官・学問」とある。
おそらくは菅公と宮司家の祖霊を祀っているとみられる。

御朱印

大島稲荷神社の御朱印は、社殿向かって右手奥の社務所にて受けられる。
境内社の佐竹神社についてもお願いできる。
初穂料は各300円。

大島稲荷神社の地図