駒込日枝神社(朝日山王宮)
概要
江戸時代初期の慶長年間以前に現在の赤坂・山王日枝神社を勧請し創建されたと伝えられ、古くは朝日山王宮と称された。
崖際の境内は眺望が良く、その美しく風情ある景観を楽しむ歌人や俳人などが集ったという。
御祭神 | 大山咋神・素戔嗚尊・大己貴尊・少彦名尊 |
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社格 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都豊島区駒込1-30-12 |
最寄駅 | JR山手線 駒込駅 東京メトロ南北線 駒込駅 |
URL | — |
御由緒
慶長年間(1596~1615年)以前に現在の赤坂山王日枝神社を勧請し創建されたと伝えられている。
旧駒込村字新屋敷の鎮守で、台地の突端が鎮座地であるため東側が開け、美しい朝日が臨めたことから、古くは朝日山王宮と称された。
1744(延享元)年に社殿の造営が行われ、次いで1884(天保15)年には社殿の規模を改め神社の体裁が整えられた。
1934(昭和9)年に近隣の出火により社務所を焼失し、翌1935(昭和10)年に再建の際、旧本殿・拝殿が改築されている。
しかし、1945(昭和20)年4月13日の空襲により、社殿・神楽殿・社務所は烏有に帰した。
1947(昭和22)年に仮殿を造営し復興後、1965(昭和40)年に現社殿が再建されている。
境内紹介
JR駒込駅南口ロータリーの西端から南に向かう路地に入る。
道なりに進み、最初の角で左折し90m弱先、北に下る階段の手前で社頭にいたる。
鳥居脇の「右 朝日山王宮」と刻銘された道標は1861(文久元)年造とみられる。
小日向水道端(現・文京区水道二丁目)に居住していた廓然寺の四代目住職・釈敬順は、著書「十方庵遊歴雑記(二編の上)」の中で、境内の景観について以下のように言及している。
此土地は極て高きこと三四丈東へ出張し、崖際にして東南の耕地村邑を見晴し、中路の往還を人の行ちがふ様など風光一變して面白し、神主澤田近江とかや、此高宅より眺望する景尤よし、殊更清閑の神地なればこころを穏にするがゆへに、歌よみ俳人など折々此高宅に集會して、雅宴を設け樂むとなん、元より花に富鳥に富人の来ること稀にして、社内松杉の木立天然に、夏は納涼および耕地をほたるの飛びちがふ風情、又ほととぎすは飽までに聞もみぢに能雪見によし、實に雅人の愛すべき土地といふべし、予爰にあそぶこと四月廿六日、例のたたみ焜爐を取出し澤田近江が宅の側に組立て一煎し、波靜とともに破籠をひらき、沽陀河の興をたのしみぬ、予がごとき茶人には一箇の勝地といふべし。
境内社
社殿向かって左手には末社の日吉稲荷神社(宇迦魂命)が鎮座している。
多くの神狐像が置かれ、その一体一体に前掛けがされている様子から、篤い崇敬者の存在が伺える。
御朱印
駒込日枝神社は境内に社務所があるものの、そこでの御朱印対応はされない。
本務社の駒込大国神社にて受けられる。
初穂料300円。
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